世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

3歳の男児が虐待によって死亡した事件について。

先日から、東京都大田区で、

3歳の男児が虐待によって死亡したという事件が

ニュースで流れています。

 

虐待された新井礼人(あやと)君は、

事件の約10日前頃から、蹴る・殴るの暴行を受けていたそうです。

 

そして、今月25日の夜にあった暴行は、

「にらみつけてきたので頭にきた」

という理由でなされたものでした。

礼人君がぐったりするまで、

1時間以上にわたり、暴行は続いたそうです。

 

母親は、多少の手当てをしていたようですが、

容体の急変を感じて救急車を呼んだのは、27日。

結局この日、礼人君は、

頭を強く打ったことによる硬膜下血腫で、

亡くなってしまいました。

 

暴行を加えたのは、母親の交際相手です。

この男性は、暴力団員で、

今のところ、反省の言葉はないそうです。

 

母親も暴力を受け、礼人君への暴行を止めることが

できなかったようです。

 

ここには、悲しいこと、残念なことがたくさんあります。

 

3歳という幼い子の心が、何度も恐怖にさらされていたこと。

3歳という幼い子の命が、残酷に奪われたこと。

母親が、危険な人物とわが子を引き合わせていること。

母親が、暴行を止めることができなかったこと。

母親が、すぐに救急車を呼んでいないこと。

暴行を加えた、母親の交際相手が反省していないこと……

 

母親は、交際相手の男性から、

「救急車を呼べば、そばで見ていたお前も共犯になる」

と言われたそうです。

 

これが、母親がすぐに救急車を呼ばなかった理由なのでしょうか?

それとも、さらなる暴力が怖かったのでそのままにしたのでしょうか?

 

しかし、対処の遅さはあるものの、結果的には、

母親が救急車を呼んだ行為があったことを思うと、

この事態が、母親にとっても、

非常に「不本意」なことだったのだろう、

と思えてきます。

 

この事件の他に、埼玉県狭山市で、

3歳の女児が虐待されていたニュースもありました。

 

こちらの事件のほうは、

夫婦がそろって虐待をしているケースで、

その虐待は日常化していたようでした。

 

子どもを、「実の親」から守らなければならない事態を思うと、

婚姻届を出した夫婦であるか、

婚姻届を出していない内縁の関係であるかは、

子どもへの暴行・虐待には、あまり関係のないこと

なのかもしれません。

 

「血のつながったわが子でなければ、かわいいと思えない」

などというようなレベルの話ではない気がいたします。

 

私は、暴行・虐待をしてしまう人も、

そのような人と一緒に暮らしてしまう人も、

その人たち自身の心に、「穴」があいているのではないか、

と考えています。

 

過去に、何らかの理由で傷ついた心が、

癒されることなく悪化して、

心に「穴」があいてしまっていたのではないか、

と思うのです。

 

悩み事を抱えて、胃に穴があけば痛いように、

心に「穴」があることは、やはり、痛いことなのだと思います。

 

そして、心の穴を埋めたい気持ちが、

「誰かに一緒にいてほしい」

という思いに発展するのではないかと思います。

(このことに本人は気づいていないかもしれません。)

 

その「誰か」を選ぶほどの余裕はなく、

その人がどこの誰であろうと、

暴力をふるうかもしれない危険な人物であっても、

とりあえず、そばにいてもらおうと思ってしまう……

 

これが、この、3歳の男児の母親の状況だったのではないか、

と私は勝手に推測しています。

 

つまり、男児の母親は、

心にすでに傷を負っていて、

いつのまにか心には穴があいていて、

その、心の穴を埋めるために、

一緒に居てくれる誰かを求め、

たとえ、わが子に暴行や虐待をしてしまう人であっても、

その人を必要としてしまったのではないか、

と私は思うのです。

 

もちろん、自分の心の穴を埋めるために、

わが子を危険にさらして死なせてしまったことは、

許されることではないと思います。

 

しかも、この母親は、

わが子の存在が、自分の心の穴を埋めてくれる存在であったことも、

救急車を呼ぶ行為に出るまで、忘れていたのではないかと思います。

 

「誰でもいいから一緒にいて」という寂しさから、

あってはならないことが、わからなくなってはいけない、

と思います。

 

そして、このような事件をなくしていくためには、

もちろん、児童相談所、警察等の介入、近隣住民の目が

必要だと思います。

 

しかし、もちろん、これだけでは足りず、

私は、「心を癒やし合える世の中」になることが、

どうしても必要なことだと思っています。

 

それには、例えば、一見、虐待に関係ないような人をも含めた

世の中の人々が、

「困ったときはお互い様」という気持ちを真に持って、

声をかけ合い、心を通わせることが必要だと思います。

 

こうして、日頃から、世の中のみんなで、

誰かの傷ついた心に「穴」があかないようにしていくことで、

今回のような虐待事件を予防することができるのではないか、

と私は思うのです。

 

もちろん、心に穴をあけるほど苦しい思いをしても、

人を傷つけることのない人もいると思います。

むしろ、人に優しく接している人もいると思います。

 

また、心に穴があいていて、

誰かになぐさめてもらおうと思うことが、

いけないことだとも、私は思っていないです。

 

ただ、虐待や暴行など、人を傷つける事件には、

心に穴があいている人が必ずいる、と私は思います。

ですので、「日頃から」傷ついた心を癒やし合える世の中

であることが必要だと思います。

 

 

お読みくださいまして、どうもありがとうございました。