世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「時代」と「法律」について、考えてみました。

「時代に合わせて法を変える」という考え方をするからには、

「時代に合わせて法を変えてはいけない」という考え方も、

同時に、念頭に置かなければ、かたよった考えになりかねない、

と私は思います。

 

例えば、民法96条は「詐欺又は強迫」についての条文で、

1項に

「詐欺又は強迫による意思表示は、取り消すことができる。」

とありますが、

もし、現代が「人はだまし合い、弱肉強食の時代になった」から、

これに法を合わせようということになり、

「詐欺又は強迫による意思表示であっても、取り消せない。」

などというように変わってしまったら、おかしな話ですよね。

 

まさか、そういうことはないだろうと思いますが、いつか、

「詐欺又は強迫による意思表示であっても、取り消せない。」

でもかまわない、という世の中になってしまわないかと、

私は、心配していないわけでもありません。

 

その一方で、自転車の運転マナーを強化するために

「自転車の危険運転に対する改正道路交通法」が

先日(2015年6月1日)から施行されていますが、

時代に合わせて考えられた有意義な法律、と私は思っています。

 

最近、自転車の方と道ですれ違うとき、

「すみませ~ん」と、こちらに声をかけてくださる方が増えたような

気さえします。

 

つまり、「時代に合わせて法を変えてはいけない」ことも、

「時代に合わせて法を変えたほうがいい」こともある

ということだと思います。

 

本来、法律は、必要があって作られたはずです。

 

再び民法96条の「詐欺又は強迫」を用いて言えば、

昔から、だます人、強迫する人はいたので、

「それはダメ」ということで作られたのだと思います。

 

「それはダメ」という法律があることによって、

だまそうとした人、強迫しようと人たちが、

「やめておこう」となるということは、抑止力になるということ

ですから、いいことだと思います。

 

しかし、法律があろうと、どうしても罪を犯す人がいることは、

昔からずっと変わっていないようですよね。

 

結局、量刑を今より重くするかどうかを含め、

「時代に合わせて法を変えるか否か」

という考え方だけでは足りないのだと思います。

 

私には、現在の世の中が、

「人として、だます、強迫するは、いけないことだ」という

ごくごくふつうな考えを、法律があるか否かに関係なく、

私たちは「持っている」ということを認識しているはずなのに、

まるで、それを忘れたかのように、

「まず、法律で何とかしよう」とする世の中になってしまっている

ように、思えてなりません。

 

つまり、法律が作られる前から、人が持ち合わせていたであろう、

言わば「秩序で人を正そう」とすることが、

「法律を作って人を正そう」とすること以上には、なされていない

と私は思うのです。

 

罪を犯すような人に、

「法律があろうと、なかろうと、

人として、だます、強迫するなんてことはしない」

と考えるような人たちになってもらう、という観点が、

もっと重要視されるべきだと私は思うのです。

 

こういうことが重要視されるべきだということを、

きっと、多くの方々が、本当は、気づいていると私は思います。

 

しかし、その実現の難しさも、ご存知だと思います。

 

その難しさゆえに、

「秩序」への「こだわり」が少ない世の中になってしまっている

のかもしれません。

 

私は、法律が不必要だとは決して思っておりませんが、

「法律をどうするか」以上に、

私たちが持ち合わせているであろう「秩序」を重視する勢いが、

この時代の、この世の中にほしいです。

 

 

お読みくださいまして、ありがとうございました。