先日(7月10日)、参議院選挙がありましたね。
そして、都知事選が迫っていますね。
立候補を取りやめたようですね。
政界のあわただしい動きが、
今の日本の姿のように思えてきます。
参議院選挙の結果は、皆様もご存知の通り、
国民が自民党に票を投じたのは、
経済政策に期待する結果であって、
憲法改正に注目しての結果だったわけではない、
という見解をニュースや情報番組などで聞きます。
しかし、現段階で、
憲法改正に反対の立場である私としましては、
この度の選挙結果を残念に思いました。
※以前、憲法改正に反対する理由をブログに書かせていただきました。
お目通しいただけたら幸いです。
その3分の2の中で、改正内容に不一致があり、
憲法改正の国民の意思を問うところまでいくかどうか、
いくとしても、だいぶ時間がかかるだろうと予想されています。
憲法改正に一歩近づいた危険を、私は感じてしまいます。
「悪法もまた法なり」という言葉がありますが、
これは、『デイリー法学用語辞典』で、
たとえ悪い法律であっても、法は法だから通用しているうちは守らなければならないという意味の法諺。死刑判決を受けた古代ギリシアの哲学者ソクラテスが、法に従って死刑する際に言ったと伝えられている。悪法に法的な拘束力を認めるかという問題に対しては、社会の安定といった面から妥協して認めるべきだという立場と、人権を守るために抵抗権を認めるべきだという立場の間で議論されている
と解説されていました。
私はソクラテスさんが好きで、
仕組まれた裁判で死刑宣告を受け、
逃げようと思えば逃げられたところを逃げなかった、
そういうソクラテスさんに心ひかれもするのですが、
しかし、それでも、私は彼に生きていてほしかったです。
そして、ソクラテスさんが好きでも、
この「悪法もまた法なり」との見解には、
なかなか頷けないものがあります。
何をもって悪法というのかを考えることは、
今日はさておきますが、
私は、どのような法であっても従うことで
「秩序が保たれる」「社会が安定する」とは思えませんし、
むしろ、どのような法であっても従わせるとしたら、
そのほうが「秩序がない」「社会が不安定である」
と言えることもあるのではないかと思います。
まだ、憲法改正阻止を諦める段階ではないのに、
ちょっと先走ったことを申し上げてしまったかもしれません。
また、現在存在している法律に、
柔軟な対応をするものもあると思います。
様々な観点から、
「悪法もまた法なり」ということを認めるのか否か、
そういうことも、
憲法改正の議論と共に考えていくべきことなのではないか、
と思いました。
お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
引用文献