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世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「いじめ」を苦に、岩手の中学2年生が、自殺してしまいました。

岩手県で、中学2年の男子生徒が、列車にはねられて亡くなり、

「いじめ」を苦にした「自殺」だったのではないかとみられている、

とのニュースを見ました。

 

聞けば聞くほど、残念な話が出てきます。

 

彼は、担任の先生に、何度もSOSを発信していたのに、

それも、「もう死ぬ場所は決まっている」とまで伝えているのに、

「明日からの研修、たのしみましょうね」という先生の返事。

しかも、彼のつづった文字に、大きな赤まるをつけた先生。

 

私は、このときの、先生の心境が、わかりません。

 

「対話」になっていないどころではなく、

彼の「死んでしまう」というSOSを「無視」しているようにしか、

私には見えません。

 

これは、どう考えても、阻止できたはずの「自殺」です。

私は、残念で、残念で、残念です。

 

ご家族の、今のお気持ちは、さぞ、おつらいことと存じます。

 

彼の父親は、昨年からいじめがあったことを知っていて、

「ここまでひどくなっていたとは知らなかった」

とおっしゃっていましたが、

「いじめ」が、エスカレートしていく可能性に、

目を向けなかったことを、

今、悔やんでいらっしゃるのではないかと思います。

大変胸を痛めていらっしゃると思います。

 

学校側は、アンケート調査を通じて、事実関係を調べて、

「対応に問題がなかったか、検証する」とのことでしたが、

私は、今、ニュースから流れてくる情報だけでも、

「はっきり、対応に問題があった」と言えると思いますので、

対応に問題が「なかったか」を、今から検証するというのは、

「どういうこと?」

と首をかしげてしまいます。

 

検証すること自体は必要でしょうけれども、

「対応に問題がなかったか」を検証するのは意味がないと思います。

「対応に問題があった」という結論しかないはず、

と私は思っています。

 

彼のSOSに、即対応して、彼の自殺を阻止していれば、

担任の先生の、「SOSを無視した罪」はなかった。

 

また、彼の自殺を阻止していれば、

実際に、彼に「いじめ」をしていた生徒の「いじめの罪」が、

せめて、「彼を死なせてしまった罪」にならずに済んだ。

 

事故でもない、事件でもない、「自殺の可能性が高い」

と言われていますが、

命を落としそうな人がいるとわかっていながら、

十分助けられる立場にいて、時間的な余裕もあって、

それなのに、ただただ放置した背景を思えば、

「殺人事件」と重みは同じだと私は思います。

 

「もう死ぬ場所は決まっている」と聞いたら、

教師という仕事をしていない人でも、反応すると思います。

 

ですから、反応しなかったのは、ふつうは「人として」の部分に

問題がある、と考えるべきだと思います。

 

しかし、彼の担任だった先生の、その背景に、

学校ならではの、教師ならではの、何らかの問題がある可能性もある

と思います。

 

彼の学校の校長先生が、

「いじめの認識はなかった」とおっしゃっていましたが、

学校の、そこに「いじめ」がありながら、

「いじめ」を「感知できない」こと自体に問題がある、

と私は思います。

 

校長先生は、

「担任から聞いていない。いじめは否定できないが、

あれば私に報告があるはずです」ともおっしゃっていましたが、

もしかしたら、担任の先生が「報告しにくい何か」が

あったのかもしれません。

(もちろん、報告しにくくても、報告するのが「人として」の行動に

違いありませんが。)

 

「いじめ」を苦にした自殺が後を絶たないのは、

「いじめ」だけに目を向けていても、自殺阻止は「無理」、

ということだと思います。

 

しかし、本当は、まだ、

「いじめ」にだけ目を向けることさえ、やっていない、

と私は思います。

 

そもそも、SOSに反応するだけでも、自殺の阻止はできるのに……。

 

せっかく、SOSを発信してくれたのに、

彼が救われなかった今回のことで、

今、SOSを発信できないでいる人たちが、

SOSを発信しても意味がない、と思ってしまったかもしれません。

 

SOSを発信してきた勇気を、受信する側が台無しにしないことを、

私は強く望みます。

 

 

お読みくださいまして、ありがとうございました。