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世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「八つ当たり」が証明するもの。

「八つ当たり」というのは、

関係のない人に、迷惑をかける行為ですから、

人として、してはいけないことですよね。

 

何か、嫌なことがあっても、

自制しなければならないことだと思います。

 

しかし、自分が「八つ当たり」の対象になってしまうことは、

予感がしたから逃げてみた、ということでもない限り、

自分で何とかすることができない場合が多いと思います。

 

また、人が「八つ当たり」に遭っているのを見ても、

不快な気持ちになりますよね。

 

私は、この「八つ当たり」を、

「迷惑」なものと思っていましたし、

今でも、そう思っていますが、

「迷惑」とは少し関係のないことで、

思っていることが、2つあります。

 

1つは、

「八つ当たり」をする人にとって、

「八つ当たり」の対象たる相手は、「大事な人」に該当しているだろう

ということです。

 

「八つ当たり」をする人は、

人に当たって、ストレスを発散させようとしているわけですから、

「八つ当たり」をしている時、束の間でも、

気分としては、少し救われているでしょう。

 

ですので、「八つ当たり」をする人にとって、

少しでもストレスを発散させてくれるその人は、

「大事な人」に該当していると思うのです。

 

「八つ当たりをした」というのは、

「私にとって、あなたは、大事な人です」

と言っているようなものだと思います。

 

「八つ当たり」をされている人にとっては、迷惑な話ですが、

いろいろな人から、そういう目に遭っている人は、

ずいぶんたくさんの人の、「大事な人」に該当している可能性がある、

と私は思います。

 

そして、もう1つは、

「八つ当たり」に遭うというのは、

自分が「世の中の一員」であることの「証明」になっている

ということです。

 

「八つ当たり」は、

全然関係のない立場にありながら、飛び火に遭うようなものですから、

「八つ当たり」をする人の近くを、偶然通りかかったようなもので、

自分が、この「世の中の一員」でなかったら、

そういう目に遭うわけがない、と私は思うのです。

 

もちろん、「世の中の一員」であることの証明は、

「あなたが、そこにいる」というだけで、

立派になされていると思いますが。

 

どのような理由であっても、「八つ当たり」はよくないことですが、

一応、そういう側面もある、と私は思ったのでした。

 

 

お読みくださいまして、ありがとうございました。