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世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「個の真仏(このしんぶつ)」とは。

私が好きな本の一つに、

菜根譚(さいこんたん)』があります。

 

私は、この本の中で、

「家庭に個の真仏あり」

という言葉に出会いました。

 

私の手もとにあるのは、

岩波書店から出ている『菜根譚』なのですが、

(私の表現をまじえておりますが、)

「家庭に個の真仏あり」というのは、

「どのような家庭にも、一人、真の仏様がいる」

という意味で、

「(その仏様が)真心をもって、

 笑顔で楽しく振る舞って、

 家族の仲を、よく通じ合わせてくれている」

ということを伝えてくれています。

 

少々お話が変わりますが、

私は、ずいぶん前から、

(「家庭に個の真仏あり」という言葉に出会う前から、)

現在、早稲田大学の名誉教授でいらっしゃる、

加藤諦三(かとうたいぞう)先生の本を愛読しております。

 

先生が著された本の一つに、

『家族が幸せになる心理学』というタイトルの本があるのですが、

この本のエピローグに、

先生の少年時代のことが少し書かれていました。

抜粋して載せさせていただきます(P226,227)。

  ……私は小さい頃から忍耐、従順を教えられ、小さい少年の頃から朝早くから起きて家の仕事をしていたし、家に何かトラブルがあると、それは私が悪いということにしてそれを収めていた。

 父親から「たいぞう、生きるのに大切なことは何だ?」と聞かれて「ハイ、従順、忍耐です」と声を出して答えていた……

 私がいなければ私の育った家は持たなかった。……両親は自分たちの抱える葛藤を小さい少年の私にぶつけることで、解決していた。少年の私の忍耐が両親の離婚をふせいだ。……

 お使いから始まって、家の掃除まで、実際の家の仕事を私がしていたということばかりではなく、心理的な面まで、私が耐えることで一家を維持していた。たとえばこうである。父親は家族と海に行きたい。しかし自分が行きたいとは言わない。皆を連れていってやると言いたい。しかし母親を始め皆はそれに乗らない。すると父親は激怒する。家の中はひっくり返る。すると一番行きたくない少年の私が「連れていってください!」と頼んで、家族で海に行くということになる。

 父親が可哀相であったし、私は淋しかったから家の中が荒れるのが嫌だった。そこでその旅行中一番楽しくない私が一番楽しいふりをして、一家の人間関係を維持する。そしてその忍耐が私の能力を超えたから、私は若い頃にノイローゼになった。

先生の少年時代のお話は他にもあるのですが、

これだけでも、つらい少年時代を過ごしていたことが、

伝わってまいります。

 

おそらく先生は、少年時代、

心の底から笑ったということはなかったと思います。

 

家族の間を取り持つために、

自分を悪者にしたり、

楽しそうに振る舞ってみせることで、

「楽しい」とはまったく逆の、「苦しい」という思いで、

生きていたと思います。

 

先生の少年時代を始めて知った時、

よくご無事で、今日まで生きてきてくださったと、

私は、胸を撫で下ろす思いがいたしました。

 

そして、私はその後、『菜根譚』で、

「家庭に個の真仏あり」という言葉に出会ったその時、

「これは、加藤諦三先生のことではないか」

と思いました。

 

少年時代の先生が、

「私がいなければ私の育った家は持たなかった」

心理的な面まで、私が耐えることで一家を維持していた」

とおっしゃった通り、

少年時代の先生が、苦笑しながら、

家を維持し、守ってきたのだと思います。

 

これは、

先生が「個の真仏」だからこそできたことではないか、

と私は思います。

 

もしかしたら、

この記事を読んでくださっている方の中に、

加藤諦三先生と似たようなご経験がある方も

いらっしゃるかもしれません。

 

もし、ご経験があるなら、

あなた様も「個の真仏」なのではないでしょうか。

 

私はそのように思います。

 

また、もし今、家族のことで、

疲れたり、さびしい気持ちになっていたりするならば、

「そうか、私はこの家を維持している個の真仏なのか」

と考えてみてほしいです。

 

おそらくこのことは、

特に、家族という場所に限らず、

職場でも、どこかに出向いた先でも、

その場を取り持つために、

潤滑油のような役目を果たしている方がいらっしゃれば、

その方は「真仏」なのだと私は思います。

 

また、

「個」というと、「一人ぼっち」という感じもしますが、

「個の真仏」は、他のご家庭にもいらっしゃるわけですから、

この世には、「複数の真仏」が存在していると思います。

 

ですので、

「個の真仏は、一人ぼっちではない」

と私は思っています。

 

 

※念のため、当記事でご紹介させていただいた

 「家庭に個の真仏あり」と書かれた箇所の訳文と書き下し分を

 載せさせていただきます(『菜根譚岩波書店P44,45)。

 [訳文]

 どの家庭の中にも、一個、真正の仏様というものがいるし、ふだんの日常生活の中にも、一種、真正の道士がいる。それは人間として、まごころをもって仲よくし、にこやかな顔で楽しく語り合って、父母や兄弟の間柄を、からだまでお互いにうち解けさせ、気持もお互いに通じ合うようにさせることであって、これこそ調息や観心をするよりも、万倍もまさっている。 

 

[書き下し文]

 家庭に個(こ)の真仏あり、日用に種(しゅ)の真道あり。人よく誠心和気、愉色婉言(ゆしょくえんげん)もて、父母兄弟の間をして、形骸両(ふた)つながら釈(と)け、意気こもごも流れしめば、調息観心に勝(まさ)ること万倍なり。

 

 

お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

 

引用文献

菜根譚』洪自誠、今井宇三郎(訳注) 岩波書店

 菜根譚 (岩波文庫)

『家族が幸せになる心理学』加藤諦三 PHP研究所

 家族が幸せになる心理学 (PHP文庫)