世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「安心」について。

私が思う「安心」について、今日は述べてみたいと思います。

 

私の場合、心が安らかになるためには、

「本当のこと」は欠かせません。

 

世の中には、笑顔の人や、あたたかい言葉をかけてくれる人、

いつも味方でいてくれる人などもいて、安心を覚えます。

 

その一方で、不機嫌な人や、心無い言葉を言ってくる人もいます。

 

「失敗した」と思っているところに、強く注意をして、

失敗したその人を、落ち込ませようとする人もいると思います。

 

また、ニコニコしながら、味方のふりをして近づいてきて、

意地悪なことを言う人もいると思います。

 

そういう人たちは、もちろん、安心な人たちではありません。

 

しかし、指摘されたことが、「事実」ということはあると思います。

 

もし、私がまちがったことをしたときに、

そのまちがいを、単に、覆い隠してくれる人がいたとしても、

私は、安心しないと思います。

 

ときに、まちがってしまったことや、失敗した事実が

つらすぎる場合もあると思いますが、

事実を隠したり、曲げてしまったりすれば、

永遠に安心することはないと思います。

 

事実から目を背けないことが、

「本物の安心」につながる、と私は思います。

 

だから、もし私が、しょんぼりしていたとしても、

「言いにくい本当のこと」を教えてくれる人は、

本当に親身になってくれた人であって、

安心な人だと思います。

 

また、自分の味方になってくれる人というのは、

いけないことをしたら、

「そういうことをしてはいけないよ」と言ってくれて、

「今度から、こうしてみたらいいと思うよ」と言ってくれて、

「あなたならできると思うよ。がんばって」と言ってくれる人

ではないかと私は思います。

 

誰かに、偽りの笑顔を見せられても、

偽りの言葉をもらっても、

偽りの装いで肩を持たれても、

安心は得られないと私は思います。

 

ですから、

「本物の安心」に向かっている途中では、

厳しい言葉を聞くこともあって当然だと思います。

 

いつの日も、「安心」を得るためには、

「本当のこと」は、私にとって外せないものです。

 

「本当のことがわかる」というのは、

私にとって、「納得」を通じて「安心」につながるものなのです。

 

 

お読みくださいまして、ありがとうございました。