私が思う「安心」について、今日は述べてみたいと思います。
私の場合、心が安らかになるためには、
「本当のこと」は欠かせません。
世の中には、笑顔の人や、あたたかい言葉をかけてくれる人、
いつも味方でいてくれる人などもいて、安心を覚えます。
その一方で、不機嫌な人や、心無い言葉を言ってくる人もいます。
「失敗した」と思っているところに、強く注意をして、
失敗したその人を、落ち込ませようとする人もいると思います。
また、ニコニコしながら、味方のふりをして近づいてきて、
意地悪なことを言う人もいると思います。
そういう人たちは、もちろん、安心な人たちではありません。
しかし、指摘されたことが、「事実」ということはあると思います。
もし、私がまちがったことをしたときに、
そのまちがいを、単に、覆い隠してくれる人がいたとしても、
私は、安心しないと思います。
ときに、まちがってしまったことや、失敗した事実が
つらすぎる場合もあると思いますが、
事実を隠したり、曲げてしまったりすれば、
永遠に安心することはないと思います。
事実から目を背けないことが、
「本物の安心」につながる、と私は思います。
だから、もし私が、しょんぼりしていたとしても、
「言いにくい本当のこと」を教えてくれる人は、
本当に親身になってくれた人であって、
安心な人だと思います。
また、自分の味方になってくれる人というのは、
いけないことをしたら、
「そういうことをしてはいけないよ」と言ってくれて、
「今度から、こうしてみたらいいと思うよ」と言ってくれて、
「あなたならできると思うよ。がんばって」と言ってくれる人
ではないかと私は思います。
誰かに、偽りの笑顔を見せられても、
偽りの言葉をもらっても、
偽りの装いで肩を持たれても、
安心は得られないと私は思います。
ですから、
「本物の安心」に向かっている途中では、
厳しい言葉を聞くこともあって当然だと思います。
いつの日も、「安心」を得るためには、
「本当のこと」は、私にとって外せないものです。
「本当のことがわかる」というのは、
私にとって、「納得」を通じて「安心」につながるものなのです。
お読みくださいまして、ありがとうございました。