「自然を楽しむこと」について。
私は昨年、ゆとりのない過ごし方をしてしまいました。
今年は、忙しい時も忙しくない時も、一度立ち止まり、
意識して「自然」に目を向けるゆとりをもつようにしたい、
と思っております。
歩いていて、心地よい風が吹いていると足を止めたくなります。
しかしこれは、心地よい風が私にはたらきかけてくれて、
私の足を止めようとしてくれたのが本当のような気がいたします。
そして、足を止めて気づいた視線の先に、
清らかさが漂う景色があると、自然と深呼吸をしています。

深呼吸の後、自分のリズムでまた歩み始めることができることに、
私の背中をそっと支えてくれる「自然の力」を感じます。
ふと、「薬」という漢字が視界に入った時に思ったのですが、
「くさかんむり」に「楽しい」と書いて、「薬」ですよね。
私の全く勝手な解釈ですが、
「草」に「自然」を代表してもらったと考えると、
「自然を楽しむこと」と書いて「薬」になる、と思いました。
「自然を楽しむこと」は、「心身を癒やす薬」なのだと思いました。
「自然を楽しむこと」というと、
景色を眺めることや、草花の香りを感じること、
川のせせらぎや鳥の鳴く声を聞くこと、
また、花を育てたり、畑を耕したりなどがあると思いますが、
他にもいろいろな楽しみ方をされている方も、
いらっしゃることと思います。
以前にも申し上げたことがございますが、
遊びに行きました。

私は竪穴住居に入ってタイムスリップするのが好きなのですが、
今回は、縄文人が主食にしていたというどんぐりの実を割って、
粉々にする作業や、火起こし体験をしてみました。
当然ですが、労力を費やすなかなか大変な作業で、
特に火起こしでは、火種の小さな明かりが見えた時、
ホッとしました。
自然の恵みを活かし、力を注ぎ込み、
それで暮らしを続けた縄文人は「自然そのもの」だ、
と思えてなりませんでした。
実は先月、三井記念美術館で開催されていた
「特別展 魂を込めた円空仏」を鑑賞しに行きました。
彫刻作品が並ぶ展覧会です。

円空の彫刻はどれも「わざと削り痕を残す」という特徴があり、
円空の樹木の命に対する思いと新たな魂を吹き込む思いが、
神仏の姿を浮かび上がらせている、と私は感じました。

きっと、「自然を楽しむこと」は、
私たちの心身が受け身で癒やされることのほかに、
人間のほうから自然の奥にある力に歩み寄って「引き出す」
というような行いも含まれているのではないかと思います。
「自然と力を合わせる楽しさ」を教わったように思っています。
今年は、意識して「自然」に目を向けると冒頭で書きましたが、
記事を書いているうちに、今年に限る必要はないと思い直しました。
これからもずっと、
自然の力に導かれて足を止めることもあれば、
自ら足を止めて自然を見つめ、自然に歩み寄って、
「自然と力を合わせる楽しさ」も味わって、
ゆとりをもって日々を過ごしていきたいと思います。
お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
※次回の記事更新は「7月」を予定しております。
皆様のご都合がよろしい時にお読みいただけましたら、
幸いに存じます。