「一喜一憂すること」について。
前回『「自然を楽しむこと」について。』という記事を
書きました。
あまりの暑さに自然を楽しむことが難しく感じつつも、
空を飛ぶ鳥の明るい声やぐんぐん伸びて風に揺れる枝葉には、
やはり、安らぎを感じます。
一生懸命歩いているだんご虫は、私を笑顔にしてくれます。
「安らぎ」と「暑さ」は自然の「メリハリ」なのでしょう。
「メリハリ」は、「緩み」と「張り」のことだと思いますが、
この両方(緩みと張り)が自然の中にあることは、
自然はバランスがとれるようになっているのだと思います。
そして私は暑くても、熱中症対策をしっかりして、
大好きな野球観戦をしに球場へ出向いています。
また今年は、春までバスケットボール観戦に行ったり、
サッカーの観戦にも行きました。
5月15日は「Jリーグの日」だそうで、
Jリーグからメールが届きました。
(Jリーグは1993年5月15日に開幕したそうです。)
そのメールの件名に
「一生、一喜一憂しようぜ。」とありました。
この文字を見た瞬間、
「あ、私はこれだ!」という気になりました。
「一喜一憂」は事あるごとに喜んだり悲しんだりして、
心が簡単に揺れ動いてしまうことですよね?
私自身も経験がありますが、疲れますよね?
何があろうとも動揺せず、
どしっと構えていたいと思ったことは何度もあります。
もちろん喜びも悲しみもわからない人になりたくはないので、
大事なのは「自分を見失うほどの動揺をしないこと」だと
思ってきました。今でもそう思っています。
そして「一生、一喜一憂しようぜ。」という言葉を見た瞬間、
「人間ってこれだよな」というような、
人間が本性の通りに生きるならこれだよなと思えて、
「私は一生、一喜一憂して生きていこう」と思いました。
スポーツ観戦をしていて、
応援しているチームが勝てば喜び、負ければ悲しむ、
ということを人は自然にしていると思います。
私もそうです。
勝った日の帰り道は足取りが軽く、
余韻に浸ってアイスクリームを食べて帰りたくなるのです。
負けた日の帰り道は足取りが重く、
とにかく家に帰らなければと思って帰るのです。
(心を癒やすためにアイスクリームを食べて帰ることもあります。)
私は、プロ野球では千葉ロッテマリーンズのファンです。
ご存知の方もいらっしゃることと存じますが、
ロッテは現在パ・リーグで最下位です。
昨日も負けた、今日も負けた、明日勝てるだろうか……
と消極的になりつつも、「明日こそ勝ってほしい」と思って、
明日も応援に球場に行く。そして、勝ったら大喜びする。
また、負け試合でも、若手選手のプロ入り初安打に喜び、
敵味方関係なく、試合中の見事なプレーにときめく!
私はこれまで一喜一憂すると疲れると思っていましたが、
一喜一憂しないことが本心に逆らっていてかえって疲れる、
ということもある気がしてきました。
もちろん自分に起こる事柄のすべてに一喜一憂するのではなく、
今後も淡々と向き合うものもあると思います。
ただそれは、私にとって一喜一憂の対象外だからしない、
といった感じになりそうです。
きっと、
私の自然な暮らしの中に「喜び」も「悲しみ」あることは、
自然の中に「安らぎ」と「暑さ」があることと同じこと、
なのだと思います。
そして、私にとってバランスを取り戻すアイテムは
「アイスクリーム」なのだということに気づきました。
私は、暑さに対処しようとアイスクリームを食べて、
体温を下げることでバランスを取り戻す。
野球観戦帰りのアイスクリームは、
勝った日は余韻に浸りつつ冷静さを取り戻す冷たいアイスクリーム、
負けた日は癒やしの甘いアイスクリーム、
いずれにしてもアイスクリームがあれば何とかなる!
一喜一憂しながら、アイスクリームでバランスを取り戻して、
また明日からも「勝った」「負けた」に熱くありたい!
私はそういうふうに生きていくことを好んでいたようです。
「一生、一喜一憂しようぜ。」と呼びかけてもらって、
私はそういう人だったことに気づきました。
さらに、アイスクリームにこんなに助けられていることに
気づくことができました!
一喜一憂しないことを好む方もいらっしゃるかもしれません。
それが好みであれば、もちろんそれがいいと思います。
しかし、「勝った」「負けた」に熱い自分を楽しもう!
という方は「バランスを取り戻せるアイテム」を見つけて、
一喜一憂してしまいましょう!(^^)

お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
※次回の記事更新は「11月」を予定しております。
皆様のご都合がよろしい時にお読みいただけましたら、
幸いに存じます。