世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「正しいこと」について。

私は以前、「正しいこと」とはどういうことなのだろうかと

考えていた時期がありました。

 

人に尋ねてみたり、本を読んでみたりして、

できれば、万人が納得するような答えがないか探してみたのですが、

結局、そのような答えは見つからず、

「正しいとはこれである」と言うことはできない、

という結論になりました。

 

この世には、

いろいろな人がいて、いろいろな性格をしていて、

いろいろな考え方があり、いろいろな解釈がなされています。

なので、

何が正しいか、ということも人それぞれになって

誰も、完全な肯定も否定もすることができないのは当然だと思います。

 

法律や規則などのルールに違反すれば罰せられることがあるのは、

そのルールから見れば、正しくないからであって、

万人が、心で納得した正しさとは、違うものだと思います。

 

道徳についても、同じことだと思います。

道徳に反したことをすれば、世間から非難を浴びることがあるのは、

そういう道徳をもった人たちからしたら、正しくないからであって、

やはり、万人が、心で納得した正しさなわけではないと思います。

 

法律であろうと、道徳であろうと、

正しさは多数決では決められないと思います。

 

ですから、私は、「正しいこと」というのは、

「自分の信じた正しさ」でいいと思っています。

 

私としては「内容を吟味して、的を射ること」が

正しいことだと思っています。

 

もし、あとになって、まちがいに気づいたら、

そのとき訂正する、ということでいいと思います。

 

但し、取り返しのつかないこともあるはずですから、

すべて事後に確認すればいいということではないです。

 

「自分が正しいと思った根拠は何なのか」

「内容を吟味して、自分の心が納得した正しさなのか」

「他の人の意見を聴いてどう思ったのか」

「正しいと思ったことを貫いたあとの結果を想像しても

考えは変わらないか」

などを十分吟味することは、

これが「自分の信じた正しさである」と言うからには、

必須であると思います。

 

因みに、私は、菩薩様のファンなので

「菩薩様はどうお考えになるだろうか」とも考えます。

 

もし、自分と他の人の思う正しさが違う場合、

自分の思う正しさに従ってもらおうと思うことも、

思わないこともあると思います。

 

また、他の人の思う正しさに従おうと思うことも、

思わないこともあると思います。

 

これは、つまり、自分と他の人の思う正しさが違う場合には、

「どう対処するのが正しいか」という観点で判断しようと思っている、

ということです。

 

私はこうして、自分の信じた正しさを貫いて生きていきたいと

思っています。

 

 

お読みくださいまして、ありがとうございました。