世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「不機嫌」について。

この人は、朝はいつも不機嫌、という人がいます。

 

道を歩いているだけで、不機嫌そうな人に出会うことがあります。

 

人が不機嫌になる理由としては、

例えば、次のようなことが考えらえると思います。

今、お腹がすいている。

昨日、よく眠れなかった。

体調が悪い。

誰かに、失礼なことを言われた・された。

悩み事を抱えている……。

 

また、本当は、不機嫌なわけでもないのに、

自分を高いところに置いていて、

「誰かが、気安く声をかけられるような私ではない」

というようなことを思っている人が、

不機嫌な振りをしている、ということがあるのではないか

と私は思っています。

 

このような、「不機嫌になる理由が、はっきりしている」場合は、

理由がわかるだけ、まだいいのですが、

「何となく、いつも不機嫌な人」という、

理由がよくわからない人も、時々見かけて、私は気になっています。

 

不機嫌になるのは、やむを得ない場合があると思います。

思い通りにいかないことがあれば、不機嫌になる可能性は、

おそらく、誰にだってあると思います。

 

また、いつも感じのよい人が、

今日はなぜか不機嫌だ、というのであれば、

「何かあったのかな」と思うので、

周囲はそれほど不快に思わないのではないかと思います。

 

しかし、いつも不機嫌な人に対しても、

いつものことだからと、こちらまで慣れてしまうことがあります。

そういう不機嫌な人を「その人の持ち味だ」という人もいたりします。

 

ただ、ある時、私は、いつも不機嫌なその人と、

お食事をしながらお話をする機会がありまして、

あることを、思いました。

 

私が、「私には、わかり合いたいのに、わかり合えない人がいて、

わかり合おうと、あれこれ挑戦しているんだ」という話をしたら、

その人は、「なぜ、そんな無駄な努力をするんだ」と言いました。

 

その人は、まるで、

「私は人生を達観している」とでも言いたいような感じでしたが、

私には、

「世の中を斜めに見ている」というふうに見えました。

 

少々、大げさなことを言ってしまうかもしれませんが、

私は、「人間の課題に取り組まない人は、不機嫌になる」

のではないかと思っています。

 

その、不機嫌な人が、私の挑戦を「無駄」と呼んだのは、

その人が、そういうことに対して、すでに

「無駄だった」

と思ったことがあるからだと思います。

何度挑戦しても、うまくいかなかった、報われなかった、

というとき、やる気をなくすことは十分あることだと思います。

 

もしかしたら、その人は、

「結果がすべてではない」

ということも、誰にも言ってもらえなかったのかもしれません。

 

食事中、その人は、

おいしそうなものを食べていましたが、

おいしそうに食べているように見えませんでした。

 

心の底から笑ったことがないのではないか、という感じがしました。

 

私は、人とは、わかり合える場合も、わかり合えない場合もある、

と思っています。

それでも、挑戦してみるのは、

私が「人」として生まれたからではないかと思います。

 

世の中には、いろいろな人がいるので、

わかり合いたいと思っても、

わかり合えない場合がある。

でも、わかり合いたいと思う。

だから、わかり合おうと、あれこれ手立てを考える。

もし、わかり合えれば、もちろん「よかった」、ということになる。

もし、わかり合えなくても、「挑戦したことを、噛みしめる」。

こういうことは、「人」として生まれたから、する。

 

私が、今言った「挑戦したことを、噛みしめる」というのは、

「忍耐」のような意味ではなくて、「味わう」という意味です。

 (完全に「忍耐」を抜き去ることはできないと思いますが。)

 

おそらく、ここで「忍耐」をもってきてしまうと、

「忍耐」をもってきたものの、乗り越えられず、

それが尾を引いて、人間の課題に取り組むことが停止状態となり、

「何となく、いつも不機嫌な人」になってしまう

のではないか、という気が私はしています。

 

もちろんながら、

「何となく、いつも不機嫌な人」が、全員このケースにあてはまるとは思っていません。が、

このケースにあてはまる人もいるだろうと思っています。

 

一応、その人には

「私は、無駄か、無駄ではないかだけで、

するか、しないかを決める人ではないので」

と言ってみました。

 

実は、こういうことがあるまで、私は「不機嫌」について

真剣に考えたことはなかったです。

 

ですから、不機嫌な人と話したことで、

考えるきっかけをもらいました。

 

 

お読みくださいまして、ありがとうございました。