「怒ること」は、からだによくないらしいですね。
しかし、からだによくないから、という理由だけで、
私は、「怒ること」をしなくなる私には、ならないと思います。
「怒りをコントロールする」とか、
「怒りたくなければ、怒らなければいい」とか、
あと、「短気は損気」とも聞きますが、
損をしてでも怒るケースと、
損をしそうだから怒らないでおくケースと、
つい、怒ってしまうケースと、
私は、いろいろあります。
時々、「人は、期待をして、期待が外れたから、怒るのだ」と
聞くことがあります。
それは、そうなのかもしれませんが、
さらに、「期待するほうが悪い」とまで聞くことがあり、
それは、一概には言えないだろう、と私は思っています。
過度な期待をしたならば、ともかく、
「人が当然してもおかしくない期待」
「相手が当然応えるべき期待」にまで、
「期待するほうが悪い」ということはない、と私は思います。
「当然の期待」が外れたら、「驚く」「悲しくなる」「残念に思う」
「困惑する」「怒る」などの感情を抱くことは「普通」なことで、
この「普通」は、「当然のこと」と置き換えられるけれども、
「悪いこと」と置き換えることはできない、と私は思っています。
それから、「怒っている人の心には、恐怖心がある」
と聞いたことがあります。
時々、もの凄く威圧的な人を見かけますが、
心の中にある自分の「恐怖心」を人に知られまいとして、
「怒って見せる」ことで隠そうとしているのかもしれません。
「恐怖心」を抱くようになった原因は、人それぞれ違うと思いますが、
とにかく何かがあって、
「これ以上、自分の心を傷つけたくない」という思いが、
「恐怖心」になったのだろう、と私は想像しています。
いずれにしても、自分でも、誰かでも、
「怒ること」をしている人がいたら、
「どうしたら、怒らなくなるか」というよりは、
「何を怖がっているのだろうか」という視点で、
「どうしたら、怖がらなくなるか」を考えるのがいい、
ということになると思います。
もし、この視点を取り入れられれば、少なくとも、
「怒っている人に便乗して、自分まで怒ってしまった」
ということはなくなるかもしれないですしね。
また、ある人のことを怒っていたら、
「相手と同じ土台に立つな」と言われたことはないでしょうか。
「相手と同じ土台に立つから、頭にくるんだよ」と言われたことは、
ないでしょうか。
私は、あります。
以前勤めていた職場でのことなのですが、
先輩のことで怒っていたら、上司にそう言われました。
さらに、「あなたが、もっと大人になって」とも言われました。
私は、こう言われたことを、今でも、感じよくは思っていません。
因みに、「相手と同じ土台に立っていた」ということは、
私は、怒っているその相手を「下に見ていたわけではない」
ということになるから、それはそれで、よい面もある、
と思ったりします。
ただ、優越感に浸りたがるその先輩が、
人前で私を注意して、
私に恥をかかせようとしたことがあったのですが、
周囲が常識的だと、恥をかくのは、先輩のほうになります。
そういうことをしてしまう先輩が、あとで、気の毒になってきました。
そして、「気の毒に思う」という気持ちになると、
不思議と、怒りがおさまってくる気がしました。
但し、私は、「怒ることではない」のに怒ってしまうという場合は、
「怒りをコントロール」できるようになるべきだと思うのですが、
そこに、「怒ってもおかしくない」ことがあるならば、
私のほうで「怒りをコントロール」したいとは、
あまり思っていないです。
基本的に、「怒る・怒らない」は、
その「事柄」が、
怒ってもおかしくないことなのか、
怒ったらおかしいことなのか、
という観点で私は考えたいのです。
ですので、もし、「怒ってもおかしくない事柄」であるならば、
人の「感情」を操作するのではなく、
「事柄」を操作するべきだ、と思っています。
おそらく、「怒りのコントロール」というのは、
「事柄」を操作するのが難しいから、
人の「感情」のほうをコントロールするようになった、
という側面もあるのだろうと思いますが、
私の考えは、「それでも、事柄を基準に考えたい」になります。
以上の、私の考えを簡単にまとめてみますと、
・「人は、期待が外れたとき、怒るのだ」ということは あるかもしれないけれど、 「期待するほうが悪い」ということは、一概には言えない。 ・「当然の期待」が外れたら、「驚く」「悲しくなる」 「残念に思う」「困惑する」「怒る」などの感情を抱くことは 「普通」なことで、 この「普通」は、「当然のこと」と置き換えられるけれども、 「悪いこと」と置き換えることはできない。 |
・怒っている人の心には、「恐怖心」があり、この「恐怖心」を、 隠そうと、「怒って見せる」人もいる。 ・怒っている人や怒っている自分に対しては、 「どうしたら、怒らなくなるか」 というよりは、 「何を怖がっているのだろうか」という視点で考える。 |
・「相手と同じ土台に立っていた」というならば、 その相手を「下に見ていたわけではない」ということになる。 ・相手を「気の毒に思う」と、怒りがおさまってくる。 |
・基本的に、「怒る・怒らない」は、 その「事柄」が、怒ってもおかしくないことなのか、 怒ったらおかしいことなのか、という観点で考える。 ・もし、「怒ってもおかしくない事柄」であるならば、 人の感情を操作するのではなく、「事柄」を操作するべきである。 |
ということになりました。
本日も、自由に述べさせていただきました。
お読みくださいまして、どうもありがとうございました。