私たち人間について、「何をもって人間というのか」は、
いつの時代も、よく考えられてきたテーマかもしれません。
私は、「人間論」という授業を受けたことがあります。
授業で使われたテキストは、一般にも売られている本で、
『人間学 その歴史と射程』という本でした。
その授業の中で、草木や花などの「植物」と「人間」は、
どこが違うのか、ということが問われました。
人が花に、「今日も、きれいですね」と、毎日話しかけていると、
花はますますきれいになる、と聞きます。
また、花は人に、そっと癒やしを与えてくれます。
これは、花と人には、意思の疎通がある、
ということだと私は思います。
ですので、「意思の疎通があるか否か」では、
「植物」と「人間」の違いは説明できない、と私は思っています。
結局、その当時、決定的に違うと言えるのは、
人は、飛び跳ねたりして、足が地面から離れることがあるけれども、
植物は、「足(根)が地面についたまま」である、
ということでした。
実は、このときは、これくらいのことしか思っていませんでした。
この授業から数年後、ご近所の家の前で咲いていた
「ガイラルディア」という名前のお花に、私は出会いました。
私は、とても気に入り、写真を撮らせていただきました。
ガイラルディアは、
あまり、暑さ寒さを気にする必要がなく、
水やりも気にしなくていい(むしろ、あげ過ぎないほうがいい)、
けっこう、放っておける強いお花だそうです。
その、ご近所の家の前を通るとき、
私は、いつも眺めさせていただいていました。
そして、ある時、ガイラルディアに、
このように、声をかけられた気がしました。
「私は、ガイラルディア。
あなたに、眺めてもらえれば、それでいい。
あなたに、見つからなくても、それでいい。
私は、ガイラルディア。
私は、ここから離れることはないけれど、
あなたは、人間だから、歩いて行きなさい」
「植物」と「人間」の違いを問うことから数年経って、
ガイラルディアを見つめ、
また、花たち植物に見つめられながら、
私という人間は、この先を歩いて行く生きものなんだ、
と気がつきました。
お読みくださいまして、どうもありがとうございました。
参考文献
『人間学 その歴史と射程』金子晴勇(編者) 創文社