禅語「和顔愛語(わげんあいご)」。
「和顔愛語(わげんあいご)」という禅語があります。
ご存知の方も多いと思いますし、
また、どういう内容か、文字からだいたい想像がつく、
という方もいらっしゃると思います。
おわかりの通り、「和顔愛語」は、
人に、「和顔……和やかな顔」で、
「愛語……やさしい言葉」をかけましょう、
と説いている禅語です。
(『ほっこり、やさしい禅語入門』P12を参考にしました)。
因みに、仏教では、
お金を必要としない、いつでも誰でもできるお布施を、
「無財の七施」といって、7つ挙げています。
(「七施」は「しちせ」とも「ななせ」とも読まれています。)
簡単に説明させていただくと、
「無財の七施」とは、次の通りです。
- 眼施(がんせ):人に優しいまなざしを向けること。
- 和顔悦色施(わがんえつしきせ):和やかな顔で、いつでも微笑みを絶やさないこと。
- 言辞施(ごんじせ):優しい言葉を、適切な場面で話すこと。
- 身施(しんせ):人に手を貸すこと。
- 心施(しんせ):人を思いやること。
- 床座施(しょうざせ):座席や道を譲ること。
- 房舎施(ぼうしゃせ):家に人を招いてもてなしたり、家を清潔に保ったりすること。
皆様の中に、以上の7つの中のどれかを、
「私もしたことがある」
という方がいらっしゃると思います。
全部なさっている方もいらっしゃると思います。
それが「お布施である」とは思っていなかった、
という方はいらっしゃるかもしれませんが、
おそらく、お布施をしたことがないという方は、
世の中にいないだろう、と私は思っています。
「和顔愛語」にお話を戻しますが、
「和顔愛語」は、上記の2.と3.にあたります。
人から「和やかな顔」で「やさしい言葉」をかけていただくと、
うれしくなりますね。
また、自分から人へ「和やかな顔」で「やさしい言葉」をかけ、
どなたかに喜んでいただけたら、またそれもうれしいことですね。
そして、「和やかな顔」で私が思い出すのは、
昔、ある憲法の先生が授業中におっしゃったことです。
何年も前のことになりますが、
皇太子妃雅子様が、ご実家でご不幸があったために、
里帰りされたところがテレビで流れたときのことです。
「皆さん、テレビで見ましたか?
あの時、雅子様は報道陣のほうに振り向いて、
少しほほえんで家の中に入っていかれましたよね。
あの、雅子様のほほえみは、
皆さんに不幸をうつさないように、
という意味の笑みなんですよ」
私は、笑顔に、
そういう意味の笑顔もあることを知って、
とても感動しました。
あの時の雅子様は、
本当に、本物の「和顔」をされていたと、
私は記憶しております。
また、もしかしたら、
日常生活を送る中で、
不機嫌な顔をした方と出会ってしまっても、
自分が和やかな顔をしていれば、
不機嫌がうつらないようにできるかもしれない、
と思えてきます。
そして、「愛語」についてなのですが、
私は、場合によっては、
「厳しい言葉」「都合の悪い言葉」も、
「愛語」に含まれるだろうと思っています。
愛している人に、愛しているからこそ、
「厳しい言葉」「都合の悪い言葉」をかける、
ということは、きっとあると思います。
例えば、
危ないことをしている子どもに注意をする親の言葉が、
子どもにとって都合の悪い言葉であることもあると思いますが、
親は注意をしないわけにはいかないと思います。
「きっと言われたくない言葉だろう」
とわかっていながら、
「しかし、その人に、今必要な言葉なはずだ」
と思って、その言いにくい言葉を発するというのは、
やさしい気持ちをもとに発した、
愛の言葉だと思うのです。
ですので、
このような注意をする時に用いられる言葉は、
「愛語」だと思います。
「和顔愛語」=「和やかな顔」で、「やさしい言葉」を、
というのは、
誰もが知っているような言葉ではありますが、
いろいろな解釈ができて、
まだ、これから見つかる解釈も、
ある気がいたします。
お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
引用・参考文献
『ほっこり、やさしい禅語入門』石飛博光 成美堂出版