世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「伝えること」について。

皆さんがブログを始めたのは、

人に、自分の思いや考え、知っていることなどを

「伝えること」は「とても大事なこと・すてきなこと」

と思ったからではないかと思います。

 

もちろん、私もそうです。

 

例えば、誰かに自分の思いを伝えて、「共感」してもらえると

とてもうれしくなります。

 

もちろん、共感してもらえず、

残念な気持ちになるときもあります。

しかし、その相手から、

自分の知らない考え方を教えてもらって、

「なるほど」と、思うこともあります。

 

ちょっと大胆!?なことを言ってしまうかもしれませんが、

私は、基本的には

「伝えること」は「愛」である

と思っています。

 

これは、けっこう前から思っていたことなのですが、

あるとき、ある本のある箇所を読んで、

勝手に、「その考えでよし!」

と言ってもらえたような気がしたことがありました。

 

その本は、哲学者マルティン・ブーバーが書いた

『我と汝・対話』です。

といっても、読解するのが大変だったので、

『ブーバーに学ぶ 「他者」と本当にわかり合うための30章』

という解説本に頼りました。

 

この解説本のまえがきを抜粋して引用します(XIV・XV頁)。

  

愛とは、心の中に芽生える感情であると私たちは考えるが、ブーバーは違うというのだ。

 

 

彼によれば、愛は感情ではない。また、愛は人間の中で生まれるのでもない。

 

 

人間こそが、愛の中で生まれるというのだ。人間の外に愛があるのだと。

 

 つまり、「愛」は、私の心の中とか、あなたの心の中とか、

人の心の中ではなく、

「私とあなた」の「間」に芽生え、

その「愛の中」に、「私」や「あなた」がいるのだ、

と言っているのです。

 

私は、このような考え方は、この本に出会うまで知りませんでした。

 

私の心で芽生えた思いや、私の経験で知ったことなどが、

私の中にあるだけで、外に向かって発信していないならば、

「愛」になっていないのかもしれない、と私は思いました。

 

ならば、発信する前の私の中にある思いは何なのかと言えば、

「愛のたまご」なのではないか、と私は思います。

 

「これを誰かに伝えたら、喜んでもらえるんじゃないかな」とか、

「誰かと共感し合えるんじゃないかな」とか、

「そうしたら、お互いにうれしくなって、楽しくなるんじゃないかな」

という思いで、「伝えること」。

これが「愛」だ、と私は思います。

 

因みに、「そんなこと言わなくていいよ」

と思うようなことを言ってくる人もいると思いますが、

(その人がどういう人か、そこがどういう場所かにもよりますが、)

そういう場合に、

「そういうことは、言わなくてもいいと思うよ」

と、「自分の考えを伝える」ということをするとしたら、

やはり、「愛」だと思います。

 

ブーバーさんは、1878年~1965年を生きた人なので、

ブログの存在は知らなかったはずですが、

ブログなど、インターネットを利用して、

何かを伝え合っている私たちのことを知ったら、

「あなたたちは、愛の中にいる」

とおっしゃるだろうな、と思います。

 

言葉に限らず、

写真でも、絵画でも、音でも、沈黙でも、仕草でも……

「伝えること」は、やはり、大事で、すてきなことだと

私は思います。

 

 

お読みくださいまして、ありがとうございました。

 

引用・参考文献

・『ブーバーに学ぶ 「他者」と本当にわかり合うための30章』

 斉藤啓一 日本教文社

 ブーバーに学ぶ―「他者」と本当にわかり合うための30章

・『我と汝・対話』マルティン・ブーバー 岩波書店

 我と汝・対話 (岩波文庫 青 655-1)