私は、本に書いてあったことでも、誰かが言ったことでも、
どのように「解釈」するのかは、「曲解」でなければ、
基本的には、その人の自由だろうと思っています。
ただ、私は以前、
『よくわかるキリスト教』という本を読んだ中で、
自分の「解釈」が思い込みだった、
と気がついたことがあります(主にP80を参照)。
例えば、「目には目を、歯には歯を」という言葉は、
古代バビロニアのハムラビ法典に出てくるものだそうで、
ここでは、「復讐」の意味で使用されているそうです。
私も、「復讐」の意味だろうと、ずっと思っていました。
これは、「償い」の意味で用いられているそうです。
但し、イエス様は「復讐」も「償い」も否定され、
「暴力」に「暴力」で応えることのないように、
と説いているそうです。
そして、「右の頬を殴られたら、左の頬を差し出せ」という言葉も、
キリスト教で聞く言葉ですが、
私は、これはさすがに「寛大過ぎるでしょう」と思っていました。
しかし、これは、
差別や搾取にあっていた人たちにとって、
これ以上ひどく殴られないための手段であり、
かつ、殴り返すことなく「反抗の意志」を示した、
というものだったようです。
私は今でも、基本的には、何をどのように「解釈」するかは
「基本的に、その人の自由」と思っていますが、
「思い込み」は、できるだけ排除したいです。
また、この時から、さまざまな観点で考えることが、
大事なことだと、つくづく思っています。
お読みくださいまして、ありがとうございました。
引用文献