私は、病院や老人福祉施設に勤務している方々からお話を聞いたり、
親戚や知人が入所している、いくつかの老人福祉施設を訪ねたり、
また、ニュースで様々な事故・事件を見聞きしたりする中で、
特に、認知症の方の「意思の尊重」に関することで、
私なりに考えていたことがあります。
その私の考えは、現在、大きく分けて2つありますので、
今日と明日、2回に分けて述べさせていただこうと思っております。
そして、今日、1回目は、
「認知症の方の本当の意思について」の私の考えです。
私は、「寝たきりにしない介護」という言葉を、
何度か耳にしています。
「寝たきりにしない」という発想は、
いいことだと思います。
しかし、自分で寝返りをうつことができない認知症の方を、
無理に、車いすに座らせて、
「寝ていない」という状況をつくっているとしたら、
やり過ぎだと思います。
そのやり過ぎは、現場で実際に起きているそうです。
自分で寝返りをうつことができない認知症の方が車いすに座れば、
車いすの座面から身体はずれ落ち、
首の筋肉が衰えているために、顔は下を向き、
長く同じ姿勢で座らされていたがための「床ずれ」ができ、
足はむくんだまま……
「苦しい」だけだと思います。
自分で寝返りをうつことができない人が、
「車いすに座ることを望んでいる」とは、
私はとても思えません。
これは、車いすに「座っている」のではなく、
「座らされている」わけであり、
認知症の方の「意思の尊重」ではないし、
「意思の尊重」が忘れられている、という状況だと思います。
認知症の方の中には、
苦しくても、「苦しい」と言うことができなかったり、
自分が「苦しいんだ」ということさえわからない、
という方もいるそうです。
しかし、認知症でなかったら、その人はきっと、
「横になりたい」と言ったと思います。
私は、このような、認知症の方が、
「もし、認知症でなかったら、何と言うだろうか」
という視点が、非常に大事だと思っています。
この視点に、
認知症の方の「本当の意思」が見えてくるのではないか、
と思うからです。
「寝たきりにしない介護」は、
使える機能や筋肉がある方を対象に、それらをできる限り、
使い続けることができるようにするためのものであって、
誰にでもあてはめていいものではない、と思います。
もし、仮に、自分で寝返りをうつことができない認知症の方が、
「車いすに座っていたい」と言ったとしても、
「姿勢を保つことが難しいでしょうから、横になっていましょう」
と、横になることをすすめるべきだと思います。
認知症の方に対して、「ダメ」と言ったり、
やっていることを止めたり、また、怒ったりすると、
症状が悪化することがあると聞きます。
ですので、基本的に、
認知症の方の「意思」は、「尊重」されていいのだと思います。
しかし、
認知症の方の「身体へのダメージ」を考慮せずになされることは
「まちがい」だと思います。
少なくとも、
認知症の方の周りにいる方々(家族や介護士、看護師等)は、
認知症の方の「身体へのダメージ」を考慮せずに、
認知症の方の「意思の尊重」が実現できると思ってはいけない、
と私は思います。
そして、
認知症の方の「本当の意思が尊重できる」ように、
認知症の方の周りにいる方々には、
認知症の方が、「もし、認知症でなかったら、何と言うだろうか」
という視点を、ぜひ取り入れていただきたい、
と私は思っています。
今日は、以上です。
お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
次回(明日)は、
「認知症の方の「意思の尊重」に関すること②。」
の中で、「認知症の方を拘束することについて」
私の考えを述べさせていただく予定です。
ご一読いただけたら幸いです。
※2016年3月24日に、
『「認知症の方の「意思の尊重」に関すること②。」』の
ブログ記事へのリンクを下記に貼らせていただきました。
合わせてお読みいただけたら幸いです。