世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

私の今年の収穫……“居心地のいい位置”がわかったこと。

本日は2021年11月16日です。

来年まで1ヵ月以上ありますが、

今回の記事は、私の今年最後の記事になります。

 

昨年から記事の更新は年3回にさせていただいており、

このような更新頻度の少ないブログであるにもかかわらず、

いつもお越しくださる皆様に、大変感謝いたしております。

そして、私にお心遣いをくださいました皆様、

記事を気に留めてくださいました皆様、

本当にどうもありがとうございました。

 

 

世の中に少しずつ活気が見え始めました。

 

しかしながら、コロナ禍に包まれ、

多くの方々の尊い命が奪われたことは、

どのように考えてみても残念なことです。

 

今年も甚大な被害をもたらす災害がありました。

 

現在もなお忍耐を続けている方がいらっしゃることと存じます。

 

また、今年はオリンピック・パラリンピックが開催されました。

 

眞子様がご結婚された年となりました。

“おめでとうございます!”

眞子様にとって特別な年になったことと存じます。

 

私はふだんから「考える」ということが好きですが、

今年は例年以上にいろいろなことを考えました。

そして、わかったことがあり、収穫があり、

私にとっても特別な年になりました。

 

今回は、その私の今年の収穫とそれに関した事柄を

お話させていただきたいと思います。

 

過去に当ブログで申し上げたこともありますが、

私は仏教が大好きで、特に菩薩様に憧れております。

 

菩薩様は、さとる力がありながら、

(この世から)さとりの世界へ行かないようにするために、

敢えてさとることをしない選択をされました。

それは、菩薩様がこの世で苦しんでいる人々のそばにいること、

その苦しんでいる人々全員が救われるまでこの世にとどまることを

決意されたからでした。

 

私は日々、「四弘誓願(しぐせいがん)」という、

菩薩様が掲げた誓いである、次のお経を唱えております。

(宗派によって文字・発音が違う場合があります。)

 

衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)

 煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)

 法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)

 仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)」

 

私の訳で恐縮ですが、その意味は、

「すべての迷える衆生を、必ず救うことを誓います。

 尽きることのない煩悩を、必ず断ち切ると誓います。

 計り知れない多くの教えを、必ず学びとると誓います。

 この上ない仏の道を、必ず歩みきることを誓います。」

というものです。

 

私は、最後(四つ目)の「仏の道を、必ず歩みきる」という誓いを

菩薩様が「すべての衆生を救って、私も必ずさとりの世界へ行きます」

とおっしゃっているのだと解釈しております。

 

逆から申し上げれば、

菩薩様がさとりの世界へ“必ず行く”には、

「この世で苦しんでいる衆生全員を救う」ことを

“必ず成し遂げなければいけない”わけです。

 

もちろんながら、私は菩薩様のようになることはできません。

菩薩様が掲げたような誓いを立てることさえできません。

だからこそ、菩薩様がこのような誓いを立ててくださったことが

ありがたくて、ありがたくて、私は「四弘誓願」を唱えております。

 

人間にできないことがあっても、不思議ではありません。

できないことがあってこそ人間、と言うこともできると思います。

 

そして今年、私は「“改めて”私にはできないことがある」と、

実感することがありました(その内容は割愛させていただきます)。

わかっていたつもりでしたが、

「“改めて”私にはできないことがある」と実感したわけですから、

これまでの認識が不十分なものであったことがわかりました。

 

私は先ほど、菩薩様のようになることはできない、

菩薩様が掲げたような誓いを立てることさえできない、

と申し上げました。

 

このような私がせめて目指していきたいことは、

「仏教を学び、人と関わって学び、

人も私も迷うことがあることを知り、

誰もが救いを必要とすることがあることを知り、

迷いの種類も救われ方も人によって違うことを知り、

辛いことがあっても、試練があっても、

生きていけるほどの嬉しいこと、楽しいこと、

ありがたいことがあることを見落とさないようにして、

反省と成長を積み重ねて生きていく」

ということであり、それを短く言い換えるとすれば、

「菩薩様に憧れている者として、ふさわしく生きていく」

というものでした。

 

もちろん、今もその気持ちは変わっておりません。

ただ今年「“改めて”私にはできないことがある」と実感したことで、

「気が楽になった」感じがありました。

開き直ったわけではなく、「できないことは仕方ない」

「できることをしよう、できることはしよう」と思えてきて、

そう思えたことで「気が楽になった」のだと思います。

 

そして私は今年、

「“気を楽にしたまま”菩薩様に憧れている者」という、

私にとって“居心地のいい位置”がわかりました。

これが、私の今年の収穫です。

(私は昔から菩薩様に憧れていましたが、

“気を楽に”という部分が欠けていたのです。)

 

今でも、知らず知らずに肩に力が入っていることがありますが、

力が入っていることに気がつくたびに深呼吸をして力を抜き、

自分の身についてしまった手ごわい習慣に働きかけています。

 

因みに、私が「気が楽になった」のは、

「私にはできないことがある」という認識・実感をしたからですが、

言わば、「できない・しないという“肯定”」に気づいた、

ということでもある気がしています。

 

つまり、「できない・しない」は、「否定の表現」ではあると思いますが、

状況によっては、必ずしも「否定の意味」にはならず、

状況によっては、「できない・しない」とするほうが「肯定」になる

=「その場合はできなくて当然だよね」「敢えてする必要はないね」

という、「できない・しないほうが自然」なこともある、

ということです。

 

因みに、「四弘誓願」は、

衆生無辺誓願度=すべての迷える衆生を、必ず救うことを誓います」

という言葉で始まりますが、

この菩薩様の誓いを信じることができない方は「できない」でいい、

と私は思います。

また、「信じているとも、信じていないとも言えない」という方も、

それでいいと思います。

正直でいいと思います。

 

ただ、たとえば、

「信じられるものがない者」を「迷う者」と表現させていただくと、

菩薩様は「“すべての迷える衆生”を、必ず救うことを誓います」

とおっしゃっているので、むしろ「救いの対象者」になります。

 

もちろん、「信じられるものがある者」は対象外なのではなく、

「(すでに)救われている」と私は思っています。

 

そもそも、この世を生きている私たちは、

納得がいかないことに憤ったり、理不尽なことに泣いたり、

失敗に落ち込んだり、うまくいかないことを嘆いたり、

わからない未来を不安に思ったりする「迷う者」であり、

だからそもそも、この世のすべての者は「救いの対象者」であり、

何かをきっかけに心が軽くなり、明るく生きていける、

と私は思っています。

 

私は、菩薩様のおかげで、

「迷うこと」を安心してできるようになった気がしております。

そして、この安心を繰り返し味わうと、

「迷うこと」が少なくなっていくような気がしております。

 

念のために申し添えますが、

「できないこと」や「うまくいかないこと」、

「誰も助けてくれないこと」などに、

泣いてもいいし、悲しくなってもいいと思いますが、

“ふてくされること”だけはしないほうがいい、と思います。

ふてくされてしまうと、気が楽になることから遠ざかると思います。

ふてくされることをまずやめると、「救い」が始まるように思います。

 

また、自分に何か不都合なことがあったとき、

「この物事に対してどのように対処したらいいか」

と考えるところを、

「自分が本当に気が楽になるのはどのような対処か」

と考えてみたほうがいいように思います。

 

もちろんではありますが、

人には「できないこと」ばかりではなく、

「できること」もたくさんあると思っております。

「できないこと」からも、「できること」からも、

そして、「できる・できないとは関係のない事柄」からも、

何か得るものがある、また「何を得ようかな」と自ら考えてみると、

「救い」につながるきっかけに、たくさん出会える気がいたします。

 

もし、何かを得ようとわざわざ考えなくても、

ふだんの生活の中にある幸せに気づいているのであれば、

ふだんの生活はもう「救いの中にある」のだと思います。

 

皆様が「気が楽になる」「心が軽くなる」という、

たくさんの救いに出会えることを、救いの中にあることを、

そして、“居心地のいい位置”にいらっしゃることを、

今も、来年も、その後も、心から願っております。

 

 

今回は私自身のことばかりお話させていただきました。

おかげで、今、スッキリとした気分でおります。

 

更新頻度が少ないながらも、私がブログを続けようとしているのは、

私にとって、この場所だからこそ味わえるいいものがあるからです。

 

記事をお読みくださいました皆様と、

皆様とお会いできましたブログというツールに

大変感謝しております。

今年もお世話になりました。

どうもありがとうございました。

 

皆様のご健康を一番に願い、お祈りいたしております。

 

 

お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

 

 

※次回の記事更新は「2022年3月」を予定しております。

 皆様のご都合がよろしい時にお読みいただけましたら、

 とても幸いに存じます。