世の中の観察日記

世の中を見て、思ったこと・考えたことを自由につづって参ります。このブログを読んでくださる方々と、「安心」を共有することを望んでいます。

「誠実な人」について。

今日は、「誠実な人」について、という題で、

記事を書かせていただこうと思います。

 

実は昨日、はてなさんから

「1年前のブログを振り返ってみませんか。」

という内容のメールが届いていました。

 

はてなさんは、1年以上ブログを続けていると、

時々このようなメールを送ってきてくださるのですよね。

 

ちょっと昔を振り返る、いいきっかけになりますね。

 

そして昨年の今頃、私は、

『海が大きい理由。』という記事を書いていました。

morimariko.hatenablog.jp

 

この記事では、私は、

「『修証義(しゅしょうぎ)』というお経の、

「第四章 発願利生(ほつがんりしょう)」という章の中に、

海が大きい理由を、見つけました。」と書きました。

 

こちらにもう一度、『曹洞宗のお経』という本から、

『修証義』の「第四章 発願利生」の現代語訳の一部を、

載せさせていただきますと(P115,116)……

同事ということは、逆らわないということです。自分の立場にも逆らわず、相手の立場にも逆らわないことです。たとえば、人間としての釈尊はさとりにいながら人間の言葉で語り、悲しみをともにしたように、相手の気持ちを自分のほうへ融和させて、その後、自分の慈悲と智慧を相手に同化させる配慮が道にかなったやりかたでしょう。自分の慈悲と相手の立場は、そのときに応じて自由自在です。海がさまざまな川の水を拒否しないのは、相手に和して導く働きです。それゆえに、いろいろな水を受け入れて大きな海となることができるのです。

というものでした。

 

太字部分が、私が「だから、海は大きいのか」と頷いた箇所です。

海は、いろいろな水を受け入れて、

だからこそ、「大きな海」になっているのか、

と私は納得したのでした。

 

そして、下線部分

「相手の気持ちを自分のほうへ融和させて、

その後、自分の慈悲と智慧を相手に同化させる」

というところは、以前から、

私が大変気に入っている箇所です。

 

このたび読み返してみて、

人が人に対して「誠実であること」とは、

この下線部分のことだ、と改めて思いました。

 

つまり、例えば、(私なりの解釈ではありますが、)

どなたかと関わり合いを持つ中で、

その人が困っていたり、悲しんでいたりするときに、

その人の実際の状況や気持ちを自分のことのように汲み取って、

自分の立場もよく考えて、自分のもっている力を尽くして、

その人の実際の立場に見合う策を考え、

「提案して、その人に理解してもらえるよう望む」、

または、「提案せずに、状況を見守ってみる」など、

その人にとって最善になるよう取り組む態度、

これを「誠実」と言う、と私は思ったのです。

 

もし、短く申し上げるなら、

「誠実」とは「丁寧に思いやること」だと思います。

 

私は、自分に対して丁寧に思いやることができるとき、

他者に対しても丁寧に思いやることができる、

と思っています。

 

また、他者の存在にかかわらず、

自分という人を丁寧に思いやり、

今の自分に最善なことをしようとすることが、

「誠実の基礎」になると思っております。

 

そして、自分を丁寧に思いやることができているとき、

自然に、他者を丁寧に思いやるようになっていると思います。

ここには作為的なものがないので、

「純粋な誠実」を感じます。

 

因みに、『明鏡国語辞典』によれば、

「誠実」とは、「真心がこもっていて、うそ・偽りがないこと。」

と書いてあります。

 

ですので、「真心」や「うそ・偽りがないこと」は、

「誠実」には欠かせないことだと思っています。

 

少々お話が変わりますが、私は以前、

『「成功」まで、もう少し。』という記事を、

書かせていただいたことがあります。

morimariko.hatenablog.jp

 

この記事では、

私が愛読している加藤諦三先生の本のうちの、

『どうしても「許せない」人』という本に、

「ひどい仕打ちにあっても、食事が美味しくて、夜は眠れれば、それで良い。それが現実社会での見事な生き方である。」(P185)

と書いてあったことをご紹介させていただきました。

 

「問題があっても、よく食べられて、よく眠れていれば、

人生は、それでOKなんだ」と思えたことで、

私は元気を得ることができました。

 

ただ、私は、「食べる」のほうは大丈夫なのですが、

「眠る」のほうはうまくできないので、

『「成功」まで、もう少し。』というタイトルにしたのでした。

(因みに私は現在も「眠る」は下手です。)

 

そして今、

はてなさんからメールをいただき、過去記事を振り返って、)

何か問題があっても、

「よく食べられて」「よく眠れて」に、

「誠実であること」を加えて、

「人生は、それでOKなんだ」と思いたくなりました。

 

人に、物事に、「誠実な態度」で臨むことができたなら、

(結果に関係なく、)それは「幸せなこと」であり、

それで「人生の成功」と呼べるのではないか、

と私は思います。

 

よく考えてみますと、

「誠実でない人で、幸せな人」を、

私は見たことがない気がいたします。

 

つらいことがあっても、

うまくできないことがあっても、

「誠実な人」は、もうそれだけで「幸せな人」。

 

私は、そう思います。

 

 

お読みいただきまして、どうもありがとうございました。

 

引用文献

曹洞宗のお経』中野東禅 双葉社

 曹洞宗のお経 (わが家の宗教を知るシリーズ)

『どうしても「許せない」人』加藤諦三 KKベストセラーズ

 どうしても「許せない」人 (ベスト新書)